パン吉さんとしいくいんの、日々を一生懸命に楽しく生きる絵日記です。

カテゴリ: まーちゃん

昨日の記事で書いたように、学校から大問題を聞かされたしいくいん。

校長先生や副校長先生の方から、引っ越し先の教育支援センターに連絡を取って貰えることになりました。
本来は親権者じゃないと相談を持っていけないようです。
ですが、今回は特殊事例。誰もが兄が行って良くなる事が無い事を解っており(というか行かない)、まーちゃんの事を考えてくれています。

事情を知っている先生方や、まーちゃんの行っている登校拒否の児童が行く学校等の先生が連携してまーちゃんの事を伝えて行ってくれました。
例えば、学業のレベル、発達テストの結果、性格等。(逆にしいくいんは知らされない。)

引っ越し先の支援センターに事情を話してくれたと言うことで、問い合わせる順序や問い合わせる先生などを聞き、連絡をとりました。

お電話した所、親権者でなくとも相談に行っても良いとの事。
色々決めた後に、兄に許可を貰う感じで進めましょう、となりました。

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育児放棄された子供については、なかなか学力を戻すことが難しい事が解りました。

支援学級の固定級(知的障害のある方のクラス)は生徒8人に1人の先生がついてくれます。
1人1人のレベルに合わせた授業を比較的してもらえるようで、前の学校の先生からは、引っ越しただけでは絶対に学力は改善しないので、この固定級に行った方が良いと勧められていました。

しかし、支援学級の固定級に入るには知的障害であると認定されなければなりません。
まーちゃんの判定は、障害なし。普通の子と一緒です。

一度支援固定級に入ると、普通級とは学業の進みが違う為(普通級の7割程度となる)、普通級に追いつくことは難しくなるそうです。
そうすると、中学校も支援級に入ることになる。ただし、知的障害が無い場合、高校入学で支援級に入ることは出来ない決まりだそうです。
この為、高校入学時に道が無くなってとても苦労することになる。

そもそも、最初から支援の固定級に入ることは無理で、勉強が追いつけない、という事を確認し、時期をみて、テストをして、といった形になるそうなのです。また、その間登校拒否をしていたら正しい判定が出来ない為に、固定級には行けないそうです。

かといって通級(普通学級に通いながら通う教室)は、法定では週8時間までと決まっているそうですが、枠がいっぱいでせいぜい週2~3時間しか受けられず・・・。

すごい詰み具合。そもそもは障害が無いんですもんね・・・。
普通の子供でも今の世の中親の支援がまったくないと、こうなるんだなぁ。怖いなぁ。
まーちゃんの場合は親もまーちゃんの自信をなくすことバンバン言ったからそれも悪い方向に作用してると思いますが。

しいくいんはまーちゃんにお家で基礎学力をつけさせるつもりです。
しいくいんは親と暮らせない子供の暮らす施設で勉強を教えるボランティアをしていた事があって、勉強を教えることは得意な方です。
また、パン吉さんも協力してくれると言っていました。

それを伝えると、「まーちゃんは幸せです。この状況に陥って、救いの手がこんなにある事が稀です」と言われました。
(救える手があったのに、救ってなかったからこうなったのかもしれませんが…。)

先生は、つい先日、1回も学校に行った事無い6年生の女の子を初めて部屋から外に連れ出した話をしてくれました。
皆で一生懸命働きかけて何とかそこまでこぎつけたと。
1人親の世帯は暮らすのに精いっぱいな事もとても多くて、このような事態は少なくないとのことでした。

また、まーちゃんの性格を聞く限り、心はちゃんと成長している。だから、普通級に通った方が良いと言われました。
そうだよな、と思いました。
勉強が出来ないなんて、大人になればただの個性です。
気にしなくて、自分に向いているものや、自分の好きなことで社会に出て行けばいいんですものね。
まーちゃんはお話を考えるのがとても上手だし、小さい子の面倒を優しく見るのも好き。
色んないい所があるのです。

記憶力がとても良かったりするし、お話も大人でもびっくりするような良くできたものを考えます。
その話をすると、「潜在的にはもっと知能は高いかもしれませんね」と言われました。
可能性にかけて、普通級で頑張ることになりました。
後は兄の許可を取るだけ!
まーちゃん自身も先生に受け答え等をみる為のテストを受けることになりました。

まーちゃんと兄が引っ越してくることになりました。

まーちゃんの絵本を読む様子をみて、1年生でももっと上手に読むんじゃない?と不安になったしいくいん。
まーちゃんもう4年生なのに。
療育とか教育の支援センターに相談した方が良いかなぁ。

そういえば、運動会の時に担任の先生が掴みかからんばかりの勢いで「しいくちゃんですね!今度相談したい事があるんです!」って言ってきていたなぁ。
授業参観でも行けば会えるかと思ってまーちゃんに聞いてみたけど「そんなものは無い」って言われたし。(確実に嘘だろうが…)
これはまず今の小学校に聞いてみるべきだろう、と思いしいくいんは電話をかけた。
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担任は授業中で出れ無かったけれど、副校長先生もまーちゃんのことは認識しているようで、学校に来るようにとのこと。
その日のうちに向かいました。
内容は兄には言わない事を条件に赤裸々に話してもらえました。
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まーちゃんがとてもかわいそうな状況だった事が解りました。

しいくいんが兄について他人に話す時、パン吉さん以外はまずその特徴ややり口を信じてくれませんでした。
そんな人間はいるわけない、とでも思うのでしょうか?

でも、まーちゃんの学校の先生たちは本当に兄に迷惑をかけられ、かつ、まーちゃんの事を思うと憤りが湧くようで、初めてここまで共感を得ました。
また、何も手出しが出来ない、というもどかしさも含めて、そうだよな、と共感が。
兄は、自分に不都合があると何か方法を探してこちらを脅してくるのです。
出来る事ならかかわり合いを持ちたくない人間です・・・。

兄に不都合を生じさせていると思わせず、まーちゃんをこちらで何とか保護すると言うのが今回のしいくいんの作戦です。

ただ、まーちゃんがここまで精神的に追い詰められてるって思わなかったんです。
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まーちゃんはしいくいんと居る時はにこにこ。
笑いすぎてほっぺが痛くなる、と言ってたの聞いて、普段こんな風に笑ってないのかな?と不安になる事がありました。
うつろな表情で過ごす中、しいくいんの話をするときは瞳を輝かせていると先生たちから言われました。
だから唯一の救い、唯一信頼している大人だと。
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聞いていて、辛かった。申し訳ないと思いました。
しいくいんは兄や親戚たちの中に居るのが嫌で、まーちゃんの為と思ってもだんだん兄の要求がエスカレートしていき・・・。
そして2年間ほど、まーちゃんと会う頻度を月2回に減らしていました。
その間にパン吉さんと出会って結婚して家まで建てたんですけど。

こんなに苦しんでいたのに、気がついてあげられなかった。
悶々としていると、パン吉さんが「まーちゃんを一番いい条件で迎えられるようになる為に気がつかなかったんだよ」と慰めてくれました。
確かに2年前、まーちゃんを預かろうと思ってたら、私壊れていたかもなぁ。
兄がずかずかと私を壊していたと思います。

今だったら、パン吉さんパパンダさんと、広いお家でまーちゃんと一緒に暮らせる。
パン吉さんとパパンダさんのいるお家に兄が入り込むことは無いでしょう。
そして、流石にまーちゃんに何らかの補助が必要であると兄も認識しています。

後悔しててもしょうがない。
これから、皆で楽しく生きていけるように頑張るつもりです。

震災から1年後。慰霊祭。兄とは宮城で待ち合わせ。
もう兄は離婚をした後でした。

しいくいんは一年経っても月に2回は宮城に帰っていました。
ペーパードライバー講習を受け、車も買って長距離運転もお手の物。
でもやっぱりすごく寂しかった。
しいくいんが頑張っても頑張っても、誰も心から喜んでくれない気がしていました。
実際、親戚や兄からひどい扱いを受けました。(頑張る人間って、そこまでは出来ない比べられる人間からすると目障りらしい。)
家族の愛、無償の愛ってすごく尊いものなんだなって、それを失ってしまったんだってずっと思っていました。
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ん?
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まーちゃんが世界で一番好きって顔でかけて来た。
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まーちゃんはここからたくさんの悲しい思いをした。
しいくいんはまーちゃんの成長を見守り、一緒に色んな事をした。

まーちゃんは何度もこの顔、一番好きって顔を見せてくれた。
たまに誰にもしいくいんを取られたくないって泣き顔も見せた。

しいくいんもまーちゃんが掛け替えのない存在になった。
まーちゃんはしいくいんを救ってくれた存在なのです。

両親の四十九日の時だったと思います。
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突然しいくいんのところに走ってきて、しいくいんの名前を大きな声で呼び捨てにしました。
え!?呼び捨てか!?
めちゃくちゃニコニコしていて、今まで話しかけてくることも無かったのに大好きオーラ全開。
周りから、『しいくちゃんだろ!』って指摘されていました。
兄とかめっちゃ焦ってたなぁ。

震災後しいくいんはずっと黒子のように扱われていて、人として認識されてんだかないんだか、という状況でした。
週三回一人で東京から宮城帰ったりとかすっごく大変だし…。やることも沢山あって。でもずっと黙々と色んなことをこなしていました。
誰もしいくいんを心配してくれる人はいませんでした
でも亡くなった家族のことばかりを考えていたので何にも気になりませんでした。
そんなこんなで、黒子はまーちゃんに『しいくちゃんだよ』って紹介されたことなかったのでした。だから兄がしいくいんを呼ぶときの呼び方を覚えちゃったみたい。

まーちゃんはもしかしたら結構前からしいくいんに話しかけたかったのかも。
その日初めてしいくいんの呼び名が『しいく』だということに気がついて嬉しかったんだと思います。

その時はもうお嫁さんの関係が微妙だったのか、まーちゃんと二人で来ていた兄。
オムツを替えに車に戻ったところ、まーちゃんに『しいくがいい!しいくがいい!』と泣かれたそうです。
ショックでずーっと愚痴っていました。
今思うとママが恋しかったのかなぁ。女の人の方がよかったのかも。

それ以来まーちゃんはしいくいんが大好きなのです。

次にまーちゃんと会ったのは震災後。
しいくいんは1週間に2、3回宮城を行ったり来たり。

比較的震災後すぐ、兄が姪っ子もお嫁さんも連れて来ました。
(ほとんどはしいくいん1人で行ってた。)
兄は一人でくるのは辛すぎて、お嫁さんに一緒に来て欲しかったみたい。
余震があるかもだし、子供はお嫁さんのご両親に預けた方がいいのにな、と思いながら…。

結構ふらふら二人でどっか行っちゃうし。
しいくいんは子供がいるしなぁと思って、寒くないように防寒具や、宮城はまだお店も閉まってたのでおにぎりを結んで、飲み物等を持って行っていました。
兄は、まーちゃんがお腹空いた、と言うと、『しいくからおむすび貰いなさい』みたいな感じ。
なんの準備もしてないのか…。おいおい、と思ってました。
まーちゃんは美味しそうに食べてて可愛かったです。
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まーちゃんはまだ無口。
兄の友人は怖がるのにしいくいんは大丈夫、と行った感じでした。

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